感動を記録する

チグミスンガン、チョスンウ ssi に夢中

오페라의 유령 釜山6/13 夜・チョスンウ回観劇レポート――4月〜5月〜6月の変化と進化を添えて

6/13(火)夜、조유령 my 6回目。

 

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オユ釜山公演、最終週の幕開け。

私にとって、4月の2回(4/11、4/13)、5月の3回(5/3、5/5、5/7)を経ての、初・6月のチョユリョン。わたしの釜山オユ鑑賞も、いよいよ大詰めに。前回からどう表現が変化しているのか、どんな世界を見せてくれるのか、ものすごく楽しみだ。


早めに劇場に着いて、一通りのことを済ませて(列に並んでキャスボを撮って、チケットを引き換えて、MDを買う。今回は手荷物ロッカーを利用。とても便利)、休憩スペースで一息。自分が出るわけじゃないけど試合前のようにドキドキする。全ての段取りを終えて、あとはいざ、「観るだけ」になったこの時間。すごく幸せだ。


そして、開幕。


劇場の中で、どうしよう、どうしよう、とそわそわするも、いや、結構長い間、ウリユリョン、出てこないんだったわ、と思い返して呼吸を落ち着ける。この、舞台上にはいないのに、最初から最後までユリョンがそこに存在している感じ、良い。


以下箇条書きで。

 

 

・冒頭からボルテージが高い!

ラウルが去ったあとの、クリスティーンの楽屋。

“Bravi 〜“ で、うわぁぁぁぁ来たァァァァ、となり、すかさず一発目、恐怖の

“위선에 찬 ! 이 무례한 자 “

うわああああやべぇぇぇぇえ

この鞭打つような“ 찬 !  ”  やべえよ、きたよこれだよ。

怖さに震えながら(私ふくめ、私の席の周り全員がヒィィ…!ってなってた)、その声の音色、ボリュームの豊かさに、今日のチョスンウ、絶好調だ…!!!!とこぶしをにぎる。

感情が声に乗って、のびのびと響いていて、すごく良い。


今日は、夢にまでみたウネクリスティーン。チョユリョンとウネクリスティーンのケミ、なんとしても、もう一度見たくて旅程を増やした。

熱い。感情のやり取りが高いレベルで行われている感じ。


鏡の中に光が集まりファントムが姿を現す、視覚と共に音楽もメロディーも盛り上がって、

”네가 이곳에 〜”

むっっちゃ良い。ここのパート、大好き。

そして、ラウルが扉を叩く中、一転、重い声色と低音で

“난 너의 음악의 천사”

“가까이 나에게 오라 ”

ここの、怖さ、熱さ、艶っぽさ、最高。今日も!

暗闇の中で手に汗を握る。スンウさんの声には、なにか、特別な周波数が含まれている。絶対。生で聴くとほんとに、すごい。

 


・ゴンドラで水路をゆくシーン

"The Phantom of the Opera"

かっこいい。歌が良い。はじまりは録音だが、初期はペントム、5月はファントム、と歌っていたから、少なくとも2回は録って差し変えている。今日は今日でまた新鮮に聞こえたから、もしかしたら、もっと差し替えているのかもしれない。こういう調整、贅沢だなあと思う。

ここの、ファントムが鏡の中から登場して、ラウルの叫びと共に、暗転して、すぐに、テンションを一気にMAXまで上げて場面が展開していくところ、どうかしていて、この演目ってすごいと思う。何度見ても、引き込まれて、頭の中が(うわぁぁぁぁ)と(あぁぁぁぁ)でいっぱいになる。興奮。ただただ興奮。

ゴンドラを漕ぐ時の、オケのキメどころと、オールの動きとを合わせてくるチョユリョン。体の動き、手の動きで、この水路がどんなふうであるか、いま天井の低いところを通っただとか、その行手は広く水路が開けているだとか、観客に言葉ではなくお伝えしてくるチョユリョン。やべぇ。

ゴンドラを降りてふたりのレッスンへ。

チョユリョンがハットをとってサッと投げ、マントを取って、一度手に巻き取ってからバッと投げ、クリスティーンの歌を己の脳髄で吟味するかのように、こめかみから頭の横を辿って後ろへと、左手で、次いで右手で、自らの髪を撫で付ける。ここ!最高!!!重要無形文化財!!!

おなじ「髪を手で後ろへなでつける」振り付けでも、いっぺんに両手でやってしまわないのがチョユリョン。

そして、おろした片腕を前に出し、手のひらを上に向けて、クリスティーン、もっと、もっとだ!とその歌声を支えながら導くように、その手に力を込めてぐぐっと上方に持ち上げる。音楽に乗っておこなわれる、ここのファントムの所作の全て、その身動き、緩急、全てに魅了される。最高。クリスティーンは大変そうで、かわいそうだけど、最高。

 


・オルガンの前に座して、スーッと息を吸って アスライ… Music of the Night.

これまで、歌とセリフと動きと、ひとつひとつピースを嵌め込みながら緻密に感情を彫琢していくかのようだったアプローチが、今日は、おのずから心と体が走り、生き生きと演技が動いていっているように感じられる。歌、セリフ、動作、それぞれが噛み合い、ひとつになってそれ自体が力を持ちながら回り始めているかのような。以前の作り込みの仕方も素晴らしかったけど、今日の、駆動する熱を感じさせるパフォーマンス、素晴らしい。

 

Music of the Night、クリスティーンが倒れてしまい、その体にマントをかけた後の締めくくり、ここの歌唱の、最後の処理の仕方も、変化を続け、今日さらに進化している。

この最後の高音が十分に出ないことは、もはや要件として熟知し、俳優の手の内にあるという様子。ドンユリョンやジュテクユリョンのように、暗闇の中、歌だけで場を情感で満たし、この場面をまとめるような歌唱は、チョユリョンにはできない。必要とされる圧倒的な声量と技巧とは、やはり特訓でいきなり身につく類のものではないようだ。

だから4月には、この場面の終わりはいつも少し口惜しかったし、調子が悪かった日は尚更(私は4/12)、それが印象に残ってしまった。

しかし、それが5月には、歌声に加えて、そのあとに「ため息」を入れることで、その情感の表現によって、この場面を締めくくるように進化していた。甘く切ないチョスンウのため息が劇場を満たし、観客の心をファントムの夢によって満たし……だからこそ次の場面にも弾みがついた。

この転換、すごく素晴らしいなと、さすがだなと、5月の私は感じ入った。

そして6月。6月のチョユリョンはそこにさらに、「クリスティーン…」というセリフまでも……。もう、やばいよ。大正解だよ発明王だよ。どうしよう。ユリョンの切ない愛に満たされて、その純粋さとそれゆえの異様さまでも雄弁に伝わってきて、見ているこっちはどうしたらいいかわからなくなって、客席で身悶える。



・Stranger than You Dreamt It

クリスティーンに仮面を奪われてしまうファントム。

この場面のために下手側前方ブロックの怪人と化している私、演者が舞台の奥に動くと見切れまくる席だが、それでも、この時の、クリスティーンに向かって這っていくユリョンの様子、せつない表情がとてもいい。

チョスンウの演じるユリョンは、今の舞台上にはない時間の流れを感じさせる。彼の過去の時間、トラウマの存在が、仮面を取られたときの驚き方や、仮面が無いだけで急に弱くなってしまうところから感じられて切ない。そして、仮面を返せと激昂してクリスティーンに迫るのに、いざ彼女に近づきすぎると、自ら、スッと身をかわして逃げるのだ。どっちなんだ、近づきたいのか近づきたくないのか。ああ、せつない。

クリスティーンの前で、小さく小さく身をこごめてしまうチョユリョン。この身の縮め比率は、3ユリョンの中でトップ。こういうところにも役作りが出ている。ただ身を縮めるという振り付けではない。なぜこの人物がこう動くのか。その動きは、これまでのどういう経緯に根ざしているのか、ゆえにいまどんな感情になっているのか。その人物の来し方と今とを、ひとつひとつの動きの中で表現してくる。いつも、この、観客に背中を向けて小さく小さくなってしまうユリョンの背中がいとしくてわすれられない。


そして仮面を返してもらったら、打って変わって “참!“ じゃないよ、本当に。

馬鹿者どもが待っている時間だろうから、って、ねえ。

どっちなんだよ。強いのか弱いのか。

ここの、仮面を取られると急激に弱くなってしまう点、ヒーローものの伝統に通じるものがあって、この演目のにくいところだと思う。

 


・オペラ座の事務室。

面々へのお手紙。響き渡るユリョンの不穏な高笑い。声色とセリフ回しが今日も素晴らしくて、サラウンドシステムによるIMAXシアターばりの音響効果も相まって、客席がどんどん引き込まれていく。オペラ座の怪人の、アトラクション的な楽しさ。それを演・チョスンウで味わえるなんて、すごく幸せだなと思う。

 


・天使像で苦悶するユリョン。セリフがどんどん増えている。

最初に観た4月の中頃は、小さくクマン、クマン…と繰り返すのみだった。ユリョン、そう呟くのがもう精一杯という痛々しさで、それはそれで良い流れだった。

そして5月GWは、天使像をより大きく揺らしたり、クリスティーンとラウルの幸せそうな声を聞いてクマン絶叫したり、感情がより強く押し出されていた。

そしてそしてこの6月、クマン、チェーバルのみならず、なんかもう色々セリフ喋ってる! 「クリスティーン・ダーエ!」ってフルネーム呼んだ。

フルネームといえば、私は2幕でカルロッタが怒りの語気で「クリスティーン!ダーエ!!」とフルネームで言う(歌う)ところが大好きなんだけど、それを先にファントムさんが天使像の上でやってしまう。この感情のボルテージの高さよ。お前絶対後悔するぞ、ユリョンを拒否したことを!!! って、そんなぁ、って思うけど、もうすっかりファントムの気持ちに飲み込まれている。

今思うと、ここの天使像の場面が強烈だからこそ、最後の最後まで、「ああどうしよう、双方の立場がわかるだけに、どうしたらいいのかわからない……」という、物語内の葛藤に感情移入した状態で観続けることになるわけで、ここの、第2幕への中継点となる大事な場面を、より濃く強く演じるようになっていくのは理にかなっている。その変遷、すごいなと思った。

 

 

・ユリョンの “가라——!!!“ でシャンデリアが急降下し、客席の周りの人々と一緒に私もビビり、第1幕終わりインターミッション。

やべぇ、やべぇよ…今日もウリユリョンが最高だよ…!!!と、客席で頭を抱える。足腰立たなくなりながら、休憩へ。

 

 

・第2幕。マスカレード。

第1幕終わりから6ヶ月の時間が経過する。GWの鑑賞を終えて帰ってくるまでそのことに気づいていなかったので(パンフレットちゃんと読みなさい)、改めて、その時間経過を考えながら観ると、マスカレードに登場したファントムの怨念がいっそう怖い。ずっと隠れ家で「ドンファンの勝利」を書いていたのか、ファントムよ。ふらふらと前に進み出るクリスティーン。このふたり、6ヶ月間全然会ってなかったってこと? それでいてこのタイミングで出てくるファントムすげえな? なぜ? 何をしに??

「お前はまだ私のものだ」と、クリスティーンの胸元から、ラウルとの誓いの指輪のネックレスを千切り取るファントム。乱暴!まだ自分も彼女に関係しているつもりでいる!!!

同じシナリオで観ているはずなのに、ファントム、クリスティーン、ラウルの芝居が熱いから、物語の展開のひとつひとつに、新鮮にあたふたしてしまう。

 


・練習から逃れ出て亡き父の墓地へ赴くクリスティーン。

”Wishing You Were Somehow Here Again”、ソンウネの歌唱が素晴らしい。

ソンウネの表現も変わってきている。もともと、いい意味で少し土くさいクリスティーンが彼女の持ち味だと思っていて。パリ在住でも都会的な器用さとは遠く、人の心が分かりすぎる、分かりすぎるがゆえに応えすぎる、そんなクリスティーン。まだ若く、可憐だが、両足がしっかりと地面についている感じ。そこから生み出される、深く、多彩な感情の表現。それがウネクリスティーンの素敵なところで、その演技がすごく好きで、また観たいと切望していた。

いま6月、ウネクリスティーンはよりいっそう強さを増して、もう、娘時代を通り越して胆っ玉かあさんなのかな、ぐらい強くなっている。いいぞ。その強さが前面に出た”Wishing You Were Somehow Here Again” の歌唱。

私は、この墓地の場面の意味が長いことよく分からなくて、でも、クリスティーンが迷える子供から脱却したことを宣言する意味の歌なのだ、と理解してから、なおさら、この場面が好きになったし、今のこのウネクリスティーンの力強さがとても良い。

最後、”이제는 안녕“ と歌い上げてなお、力がみなぎり、その勢いで足が一歩二歩前に出ていくような歌唱。すごくよかった。


そんなウネクリスティーンを籠絡しに、十字架の隙間から滑り出てくるウリユリョン。

ここ、隙間から体をななめにしてチョスンウが出てくる段階から見ていたいので、双眼鏡の動きが忙しい。

”적은 네 아이 “(小さな私の子)

チョユリョンのここの歌唱、母性さえにじませていて、いつもすごくいい。今日もいい。

そうか、ファントムは、こういう気持ちでクリスティーンのことを見続けてきたのか、と思わせ、納得させられる。ファントムにとってクリスティーンは、ずっと、적은 네 아이 なんだ。

だが、クリスティーンは、(天使と네 아이 の関係ではなく、)同世代の対等な存在として自分を見てくれるラウルのもとに行きたいのだ。ファントムはその落差に気づいているのか、いないのか。そんなクリスティーンのなかに、それでもまだ残っている(そして、おそらく生涯消えることはない)小さな子供でいたいという気持ちに揺さぶりをかけるファントム。幻惑されるクリスティーン。そこへ現れて、歌でかぶせてくるラウル。

ゴナラウルのきらめきと、圧の強さがファントムを襲う! ここ、ドンユリョンだと、きらめきと圧がゴナラウルとタメを張っているゆえに(そして輝きでいったらラウルに勝っている)、火砲ならぬ「歌」砲の打ち合い、俺が俺がのぶつかり合いになるんだけど、チョユリョンは年代もひと回り上、ラウルとのはっきりとした違いが見えているので、「どうにもならない、だけど…!」という葛藤がものすごく強く醸し出される。三者の感情の絡まりあいがピークに達して、観ていて、もう勘弁してくれ、ぐらいの気持ちになる。

ここの、感情のもつれあう芝居が、今日、すごく熱くてよかった。ほんとに、まじめに、喧嘩。そこがよかった。最後、ファントムが燃やした火も熱かった。

(余談ながら、チョスンウが舞台上で火をブワッと燃やして叫ぶと、Alive リプライズ!と頭の中で声がしてしまう。再演の再演の再演の…は今はやる気がないとのことだけど、チョジキル&チョハイド、待ってます。いついつまでも。)

 


・”The Point of No Return “

ついにきた。まずは「ドンファンの勝利」の劇中、舞台上で一同が歌う、不気味かつ不穏な和音。第1幕、隠れ家でファントムが弾いていた和音がベースにあるようでいて、しかし、徹底的にねじれてしまっている和音。これが、この6ヶ月の間にファントムが蓄積した狂気と怨念とを感じさせて、怖い。


「ドンファンの勝利」が進行し、カーテンの向こうでピアンジと入れ替わり、家来役の声に応えるファントムの歌声。その声量と音色も、より深く強く、豊かになっている。今日のチョユリョン、歌がいいなぁと、またしみじみ。

黒いフードとマントをかぶってついにファントムが舞台の上に現れる。クリスティーンとの熱情の時間。押しては押され、迫っては逃げての展開。

ファントム、自らの歌唱パートを終えるあたりで、クリスティーンと顔を近づけすぎて、弾かれたように顔を背ける。驚愕とともに、そこに、異様なほどの、瞬間の恐れと怯えとをにじませるチョユリョン。そのことで、それがファントムその人であると気づくウネクリスティーン。ここは第1幕で、クリスティーンに自分から近づいたのに、近づきすぎると自ら逃げてしまうファントムの動きがうまい伏線になっている。(と思う。)

この箇所、ウネクリスティーンは初期の頃から「クリスティーンは、ここで、はっきりとファントムに気が付いたんだ」とわかるように、楔となるような演技をいれていたが、これまでは驚き恐れて下手側に逃れていく流れだったけど、今日は、驚きと共に、これ以上はないというぐらい目を見開いて、ファントムを凝視して、そこから下手側に移動して、さあ、私のパートだ、という。この流れ、歌唱の進行と並行してクリスティーンの感情が動いていく、お芝居がすごくよかった。それら一連が歌唱ともに全部自然に流れていて、チョユリョンのお芝居のみならず、ウネクリスの受けて返すケミがすばらしい。


下手側からクリスティーンが自分のパートを歌い上げ、ベンチに座るユリョンに近づいていって背後から手を伸ばし、その体を抱えて、大きく大きく揺さぶる。

チョユリョン、「ああ!」って声出すの、反則。ライセンスへの挑戦か?

そして、なんて素晴らしい「ああ!」なの。

クリスティーンの歌唱をまったく邪魔していない。これがネットで見たチョユリョンの「変な声」か、と思いつつ、変な声、納得。そりゃ「ああ!」も出るわ。そのぐらい、チョユリョンが、クリスティーンとの一連の中でわけがわからくなってしまって、自分の存在ごと翻弄されていることが伝わってきた。

いままさに新しく生まれなおしている。ユリョンは。その姿を覆う黒衣の中で。いまだかつて足を踏み入れたことのない場所に彼はいる。だから、弱々しく、混乱して、けれど恍惚として、いままさに「生きている」という時間を味わっている――そんなことを思わされながら手に汗を握って見ていた。

クリスティーンの歌唱の終わり、“후회하지 않으리“ と共に、ファントムのフードを取り去るクリスティーン。ウネクリスティーンは、そこに至るまでに、いまファントムがいかなる状況にいるかを、感じ取っている。ファントムへの眼差しがそれを表現していて、ファントムに寄せる情のようなものが去来している。けれど、歌がもうここで終わってしまうから。他にどうしようもないから、フードを取る。現れるファントム。ざわつく周囲。

ここの、身の置き所がない様子のチョユリョンのお芝居、素晴らしい。

かつてあんなに威厳に満ちていたファントムが、もう、生まれたての赤子のように寄るべない。

そして歌う”All I Ask of You” のリプライズ。

私を愛していると言ってください、ひとりにしないでください、いつでも、どこででも、永遠に、クリスティーン…

こんな赤裸々な感情のオペラを見せられてしまっては、クリスティーンだって、もうどうしようもない。だから、あの、真の顔を覆った人工皮膚のマスクごと、ファントムの仮面を取り去る。ファントムの絶叫。

クリスティーンの心の動きも、ファントムの心の動きも、まるで溢れるように伝わってくる、素晴らしい場面だった。

 


・ファイナル

왜?왜?と叫びながらクリスティーンを隠れ家に連れて行くファントム。先の場面で観ているこちらもぐちゃぐちゃにやられているから、もう、一緒に 왜…?ってなってしまう。どうすんの。なんでなの。そんな感情でいっぱい。


”이 얼굴 네 사랑의 독 “ 悲痛なファントムの主張、否定するクリスティーン。わかってくれないクリスティーンに怒りを募らせるファントム。

ふたりの喧嘩、いままさにクライマックス。

チョユリョン、ついに、舞台の上でつばきを吐き捨てる。野卑極まりないのに、ぎりぎりエレガント。そんなことってある?と思うのに、ある。一瞬の流れの中でそれをやる。汚い感情と怒りとが、この紳士の中で瞬間噴出したのだとわからせるごとく、プシッ!と稲妻のように鋭くしぶきを吐き出す。かっこいい。

チョユリョンがノっていることがわかって観ているこっちも嬉しい。ついでに Confrontation(ジキハイの)も思いだしてなお嬉しい。


ラウルがやってきて、ファントムの罠にはまる。

愛し合うふたりの、いたわりあう姿。こんなの耐えられない。

クリスティーンに、自分かラウルか、選択を迫るファントム。

クリスティーンのセリフ「ただ憎しみだけ!」ここの、チョユリョンの「受け」もまさに様々のバリエーションがあって、かつて観た(5/5)、それを言われた瞬間にガクッと首を落として深くうなだれたのが強烈に印象に残っていて(そこで私の涙腺が崩壊した)。すごく楽しみな、ここ箇所。

今日は、「ただ憎しみだけ!」その言葉を浴びて、蒼白になって、凍りついて力が抜けて、そのまま、すとん、と、オルガンの前の椅子に腰を落としてしまうユリョン。今日の、今日だけの感情の流れが伝わってきて、観客冥利に尽きる。


“날 시험하지말고,선택해 ! ”

クリスティーンが、あなたはどう生きてきたのか、この気持ちをどう伝えればいいのか、と歌う。その声を背中に聞くチョユリョン。4月はまさにこの箇所に、5月はやや手前の「偽善者だ」とクリスティーンに言われるあたりに感情のクライマックスを置いていたように思えたが(個人の感想です)、今日は、ここに至るまでにすでに、すべての感情という感情が出尽くして、それをクリスティーンとぶつけ合って、もう、クリスティーンのその気持ちも、認められないまでも知ってはいるというような、そんなユリョンだった。強い動き(4月に観たような、クリスティーンの言葉を背中で聴きながら、前を見たまましきりに首を振って否定しようとする動きや、5月に観たような、ここでもうすでにポロポロと涙を落として感極まってしまっている動き)はなく、クリスティーンに背を向けて佇立したまま、頬が涙で濡れている。やり合ったあとの、言い切ったあとの、どこか満たされた様子さえ感じられる。クリスティーンの答えはもう分かっているけれど、というような。その姿を見て、今日は初めて、ファントムは、ただクリスティーンが欲しくて得られなかったという悲痛さだけではなく、クリスティーンと、心を開いて、自分の全部をぶつけて感情をやり取りすること、その中で、幸せや、満たされるものがあったのかもしれないなと感じた。それは、クリスティーンが、ファントムを一人の人として認めていなければできないことだから。

クリスティーンのキスと抱擁。クリスティーンを自分の側からも抱きしめ返すファントム。今まではクリスティーンに抱きしめられても、自らは触れようとはしていなかったように思う。(個人の感想です。脳内補正かも)


ラウルとクリスティーンとを追い出し、悲痛な絶叫。舞台に身を投げるように悲しみ、苦しむファントム。もう、この場面、チョスンウの新たなる名場面だ。ここが見たくてみんなが通い詰めるやつだ。


機械仕掛けの猿のオルゴールをかき抱き、キスをして、たった一人の「友達」に悲しみを吐露するファントム。戻ってきてくれたクリスティーンに気づく。

ここの、ファントムの嬉しそうな様と、立ち上がったあとタキシードのベストの裾を両手でグッと下に引っ張って、身仕舞を正す様子がいじらしい。だけどクリスティーンは指輪を返してきて…

ここでのダメ押しの ”사랑해 “は、歌唱ではなく、もはやメロディーのついたセリフ。虚勢も力もない、素朴な、生まれたてのような ”사랑해 “だった。


クリスティーンが再び去ってしまい、追っ手が迫る中、玉座のような椅子に腰掛け、消えるべく、自らの上にマントを掛ける。それを途中でやめて、機械仕掛けの猿のオルゴールを撫でる。ここ、やることいっぱいあるはずなのに(なにせこれから消えなければならない)、最後まで、いろいろ詰め込んでくる。演技魂に敬拝。


ふたたび、椅子の背もたれにマントを掛け、自らを覆い隠すファントム。

メグ・ジリーがやって来て、マントを取り去ると――仮面だけが残されている。

残された仮面を掲げるメグ・ジリー。もうこの辺から客席が拍手の気配を見せ始めていて、オケによる、最後のハーモニーと共に終幕、暗転。


そこからはもう、拍手喝采だった。


私が観た中で、今日、一番歓声がすごかった。終演した瞬間に客席のボルテージがうわっと高まって、おさえていた感動と歓声を解放して、私も同じ気持ちで、すごく良い日だった。

カーテンコールも「待ってました」という感じで、舞台の上のカンパニーと、オケと、客席が一緒に息を弾ませているような。


感情の絡み合いがすごく乗っていて、この演目の、芝居の部分の良さを味わうことができて、ああ、いいお芝居を観た!という満足感でいっぱい。

インターミッションでは、第2部、どれだけボロボロに泣かされるのかと震えていたが、お芝居に興奮して泣くどころじゃなくて、カーテンコールが終わり、最後のオーケストラまで全部聴き終わって、劇場の外の道路まで出て来て、やっと、じんわりと、涙がにじんでくるような。そんな鑑賞体験だった。

 

 

・まとめ

チョユリョン、ついに、クライマックス、舞台の上でつばきを吐いたね。チョスンウと言えば、のあの霧吹きまでもう一息!(違うか)

3ヶ月経って、歌とセリフと感情とが息づいて回り始めているような、そんな熱さを感じた。

釜山公演、覚醒への第一幕だった?

恐ろしいひと…!!!(好き)

新しい演目に挑戦して、自分に無いものをわざわざ補って、最高にはなれないと分かっている闘いをして。うまくいかないこと、悔しいことも、不本意な舞台の日も、何度もあって。それでも、自らが求めたその状況の中でむっちゃ輝いてるチョスンウ俳優を目の当たりにして、感動。

挑戦者としてのチョスンウが見られるなんてファンとしてはすごく幸せで、これからも新しいことに挑戦していく姿が見たい。その気なら、ウエストエンドにだって、どこにだって観に行きたい。


釜山オユ、残りあと2公演も、思いっきりやってほしい。楽しんでください!先輩!!